本離れといっても…

本離れが進んで久しいとされています。
実際に、月に一冊も本を読まないという人は40%以上と言われていますし、読む人がいないと当然、本の発行部数も少なくなっていきます。
月に何冊も買って読んでいる私などは、月に一冊も読まないなど信じられませんが、廃刊や休刊してしまう雑誌を見ていると本当なのでしょう。
本を読まない理由は「忙しい」が多いそうですが、「そもそも何を読んだらいいのか分からない」というのもあると思います。忙しい毎日を送っている現代人だからこそ、ちょっとの時間も無駄にしたくありません。趣味とはいえ、充実した本を読みたいもの。そんな読者のニーズに応えるかのように、出版社や本屋さんがあれこれ工夫して本の内容を紹介しています。たまに、そんな戦略がぴたりと当てはまってベストセラーが生まれるのです。
売れたランキングを見てみると、必ずしも軽いタッチのものばかりではなく、専門家が書いた分厚い専門書(しかもお値段もそれなり…)であるというのに、ベストセラー入りしているものもあります。もちろん、私は未読です…。
一番の近道は映画化した作品の原作ですが、そのようなものばかりにも頼っていられないのでしょう。
ときに首をかしげるようなジャンルのランクインもありますが、幅広いジャンルのものが人の手に渡ることは喜ばしいかな、と思うのです。

はまりのバームクーヘン

昔はパン屋でパンを買うのがかっこいい、そしておしいパンが買えるものだと思っていたけど、最近はコンビニのパンも捨てたもんじゃありませんよね。行く場所それぞれに違う味があったりそのブランドだけの味があったりするから品揃えも多いし結構納得です。友達が最近はまっているのは色んなところのバームクーヘン。買うところによってしっとり感が違ったり味が微妙に違ったり、もっちりしてたりして楽しみがいがあるそうです。気がつくと今日の朝ごはん、おやつも食後のデザートもと日に3個食べたりする時もあるそうです。だから最近ちょっと肥えたんだと無言であいづち。一番のお気に入りは、4分の1かけ分しかないけどとっても繊細で優しい味のやつが家の近くで買えるそうで、それを食べながらマンガを読んだり雑誌を眺めたりするのが贅沢な時間だと言っていました。基本的にパン系が好きな子なので、遊んだりする時は新しいパンを見つけて買って行ってあげたりします。そんな高くもないのにいつも喜んでくれて、渡しがいがあるというものです。この前会った時、噂のちっこいバームクーヘンをお土産にくれました。確かに美味しくて私もはまりそうです。でもぷくぷく太るのは大変困ります・・・。

共感したくて…

電車やバスで移動すると、私はちょっとの時間でもカバンに入れている文庫本を開いてしまいます。車窓からの風景を眺めて物思いにふける…というのも素敵なのですが、どうも本を取り出すのは一種のクセになってしまっているようで…。「あ、景色を見るのを忘れた」と、降りてから思い出すこともしばしばです。
そんな私の読書ライフですが、乗り物のなかで本を読む人はたいていブックカバーをかけています。そのため、どんな作品を読んでいるのか、ちょっと分からないようになっているのです。それでも、隣の席になったときや、ふと中身が見えてしまった時…「あれ?あの本かも?」気が付いてしまうことがあります。それが、自分も大好きな作品だったら、もう気になってしまって仕方がありません。
今、どこのシーンを読んでいるのだろう?
この人はどう思いながら読んでいるのかな?
私はこうだった…って伝えたい!
などなど…。自分の中で、勝手に妄想が始まってしまいます。
そもそも、本を読む人そのものが少なくなっているので、同じ本を読んでいるなんてかなり低い確率になってしまったこの世の中…。せっかく出会った人と語り合って、共感を得たいと思ってしまうのです。
変な気持ではないかもしれませんが、それを実行してしまうと変な人に見られてしまうので、泣く泣くあきらめるのでした…。

小説でも現実世界の役に立つ

私は、本といえばジャンルに特に偏りなくまんべんなく読む方だと思っています。趣味として読書をするので、やっぱり好きなものばかりを手に取ってしまいますが、必要なものであれば新書や専門書などにも目を通しています。
趣味でなくても、本を手もする機会が多いのは学生時代ではないでしょうか。就職のため、進学のため、あるいは試験のため…。本に限らず、新聞も大事な情報源です。しかし、そんな時の読書といえば楽しむというよりも、情報を得るためのツールにしか過ぎなかったように思います。そのため、そんな時には小説を読んでいる私は「それ、何の役に立つの?」と聞かれることが多かった思い出があるのです。どうも、あまり読書をしない人からみれば、空想の出来事が書かれてあることは漫画と同じ感覚(ということも語弊がありますが…)のようで、「実際の世界では役に立たないもの」とされているようなのです。確かに、作者による空想の世界では、私たちの現実では起こりえないことが繰り広げられているかもしれません。
しかし、だからこそ「もしもの場合」の心構えですとか、人間の心理状態などを疑似体験することができると思うのです。すぐには役に立たないことかもしれません。それでも、印象に残るエピソードは、いつまでも心の中で賞味期限が無く保存可能なのです。

実物を見て驚いた本

忙しいことを理由に、ネットで本を注文することが多くなりました。読書は私の数少ない楽しみの一つですので、何とかして時間をとって面白い本が読みたいのです。そのために、忙しいといいながらも、同じくネットでは面白そうな本、新刊などの情報は定期的にチェックするようにしているのです。
そんな中で、ときどき実物が手元に届いてびっくりすることがあります。意外と大きい本だったり、分厚かったり…というものです。確かに、注文するときには値段のほかに、出版社やサイズ、ページ数などのデータが詳細に書かれています。けれども、私が確認するのはいつ配送されるかということと、価格です。他のデータって見ていないことが多いんですよねぇ…。そして、実物に驚いているというわけです。
たくさん読まれている本なので、「さらっと読めるものだろう」「そんなに分厚くないだろう」と思っている物に限ってページ数が多かったり、専門的な内容だったりすることが多いのです。
活字離れなどと言われていますが、実際にはどんな作品がヒットするのか未知数な状態にあります。タレント本のように分かりやすいものがベストセラーになるとは限らないのです。読む、読まないにページ数や装丁は関係ありませんが、ネットで購入するときには慎重に選んでいきたいと思います。

入院の際に本を持ち込んで失敗したこと

入院経験のある友人から聞いた話です。確か、盲腸だったと言っていたかもしれませんが、とにかくさほど大きな病気ではなかったようですが、一週間程度の入院が必要だったというのです。
もちろん、完全に休みをとって治療に専念します。痛いところはあったのかもしれませんが、比較的元気だったようで、「よし!この機会に溜まってしまった本を読んでしまおう!」と思ったといいます。本好きの友人は、忙しい中でも好きな本を見つけると少しずつ買いためていました。しかし、忙しさに追われてしまって読む暇がなかったのです。
入院といっても、手術をしてしまえば後はベッドに横になっているだけ。時間はたくさんあるだろう…と踏んでいましたが、誤算がありました。ひとつは、手術の前にも検査が目白押しであること。手術後は確かに安静にしていることがメインですが、ようやく本が読めると思ったら、あっという間に退院になってしまったというのです。しかも、腹部を手術したらしい友人は、退院の際にはお腹に力が入らない状態だったといいます。結局、持ち込んだ本を自分で持つことができずに、家族に小言を言われながら持ち帰ったとか…。
同じ本好きとして、もし入院したら私も同じようなことをやりかねません。大いに参考になったエピソードでした。

超訳というものが気になっています

これでも、手に取る本の幅は広い方だと自分でも思っています。日本の作家のものだけでなく、海外作品もあまり気にしないで読んでいます。そのためか、訳者によっては同じ作品でもずいぶんと印象が変わることがあることを度々体験しています。名作であればあるほど、長年読み継がれているせいか、出版年によっては新しく別の翻訳家によってリニューアルされる作品もあるのです。
そんな出版物の中で、私が気になっているのは「超訳」と呼ばれるものです。これは、単に海外のものを日本語に訳したというだけでなく、日本の古典作品でも現在の私たちに分かりやすいように現代の言葉を使って訳された…、いわゆる「意訳」の意味も込められていると私は読んでいます。更級日記や百人一首といった日本の古典から、ニーチェやブッダといった偉人の名言までもが超訳されていました。普通の訳でも、意味くらいは理解することができます。しかし、この最新のスタイルになると古典がぐっと身近なものとなるから不思議です。実際に、超訳で新たに出版されたものの中にはベストセラーの仲間入りをするものも出ているということでした。
理解力が低下したとか、そんな理由ではないと思います。名作だからこそ、現代語訳を越えた言葉に置き換えることによって、より人々の心に響くのかもしれません。

心に残る本

思い出に残っている本というものはありますか?
例えば小さい頃に読んで怖かったとか、生き方を考え直すきっかけになったとか、初めて涙を流した作品だとか。本が好きでよく読んでいるような人なら、「自分の心に残っている一冊」というものがあるのではないでしょうか。実は、私にもそんな大切な本があります。
私の思い出の本は、海外の児童文学なのですが、今でも定評のある人気作品です。しかし、その内容や有名な作品だから特別だという訳ではなく、私の心に残っているその理由は、毎晩母が私に読んで聞かせてくれたからです。
母が情緒たっぷりに読んでくれるストーリーは時に面白く、また時に寂しく私の胸に響きました。大きな挿絵がある訳でもないのに、母が読んで聞かせてくれるだけで私の頭の中には様々な風景が浮かび、主人公は生き生きと動き出すのです。忙しい母が、毎日欠かさず私に読んでくれたその時間は、きっとお互いにとって特別な時間だったのだと思います。大人になった今でも、本の内容と共にあの時のあの空間を鮮明に思い起こすことが出来ます。今の私にとって、あの作品とあの思い出は、今でも大切な宝物として胸にしまってあるのです。いつか、自分も子供にそんな本と思い出を残してあげたいと思います。

共通の話題

「好きなことを共有し合える仲間」の存在はとても大きいものです。共通の話題があるのと無いのとでは、人間関係を築く上で大きな影響を及ぼすのではないでしょうか。
私は本を読むことが好きなのですが、同じく読書が趣味だという仲間との会話はいつも弾みます。最近どんな作品を読んだかとか、あの作家さんのどんなところが好きだとか、自分が知らないジャンルの紹介をしてもらったりお互いに貸し借りしたり…。そういったことが本当に楽しいですし、同じ話題で盛り上がっている時の自分は明らかに輝いていると感じます。
他にも、例えば犬を飼っている人同士、猫を飼っている人同士というものは会話が弾むように思います。お互いのペットを褒めあったり情報交換したり、そういうことで世界が広がりますし仲間が増えていきます。共通の話題の持つ力とは本当に大きいものです。人間はどうしても「群れ」で生きるという本能が備わっていますから、こういった仲間をもつという事は大切なのかも知れません。一人の時間もときには必要ですが、周りから教わることは多く、また自分も影響を与え、そうやってコミュニティというものが出来上がっていくのかな、と、最近ふと思ったのでした。他人の知っていることを教えてもらうことにより、自分の知識も倍になるような気がします。

対象年齢の境界線

小さい頃から私は本を読むことが大好きでした。児童文学には目安となる「対象年齢」というものがあり、例えば「五年生以上向け」などと帯に記載されてある場合があります。
文字の大きさや作品の長さ、内容などで大まかな対象年齢があるとは思うのですが、私の場合、それを一切無視して様々な本を読んでいました。本を買い与えてくれる両親が若干無頓着(よく言えばおおらか)だったせいか、私が「読んでみたい」と言えば、それが歴史ものであろうが何であろうが希望をかなえてくれることが多かったのです。
そのおかげなのか、小学生低学年の頃、まだ習っていないはずの漢字が読めたり、前後の文章を読めばなんとなくその漢字がどんな意味のことを言っているのかを予想出来るようになっていました。これは今でも本当にありがたいことだったと思います。おかげで、漢字のテストは練習をしなくても大概読み書きできるようになりましたし、国語の文章問題を解くコツも覚えることが出来ました。
ある程度は年齢にあった読み物を選ぶことが大事だと思いますが、少し背伸びした本を読んでみると、思いがけない副産物があるかもしれませんよ。とにかくたくさんの本を読んでみましょう。小さい頃にしかできない体験かもしれませんが、オススメします。